トップ > 健康・医療・福祉 > 障害者支援・地域福祉・生活支援 > 支え合い活動の今に迫るWEBコラムシリーズ > WEBコラム【第7話】ハッピーな循環に
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更新日:2024年03月25日 15時55分
コロナ禍で上がった学生支援の声。それを受け“次は自分が”という学生の動き。日常の関係性から好循環が生まれました。
2020年4月、新型コロナウイルスの緊急事態宣言が出され、大学の授業は軒並み休講になりました。アルバイト先の営業自粛や短縮で、収入は激減。帰省するにも移動制限中で、生活に苦しむ学生が増えました。そこで始まったのが“学生向けの食料配布”。きっかけは地域住民から出た声でした。
動きの中心にいたのは、久留米大学の学生やOBで構成するボランティア団体「パルキッズ」の代表、張友樹さん。張さんは「地域の人から学生を心配する電話が次々と入ったんです。『メンバーのみんなは実家に帰れとると?』『バイト代が入らんごとなって、食べれよるやろか』とか」。そこでまずはOBメンバーが、地域の人から食糧を受け取り、久留米に残っているパルキッズの学生メンバー3人に配り始めました」。
インタビューに応じる張さん。みんくるの副センター長として、日々、市民活動のお手伝いをしています
3人は久留米大学の3年生。永田杏奈さんは、実家の経済状況が厳しくなり、仕送りが一時困難に。「バイト先の営業時間も短くなって、夕方からのシフトにほとんど入れなくなり、収入が一気に減りました。そんな時の支援は、本当にありがたかったです」。親元を離れて暮らす学生には、気持ちの面でも支えになっていました。鹿児島出身の岩下摩耶さんは、「わたしの事を心配してくれる人は親くらいだと思っていた。近くにこんなに気掛けてくれる人が居るのがすごくうれしかった」と話します。
パルキッズの学生メンバー。左から永田杏奈さん、岩崎如月さん、岩下摩耶さん。実家に帰省できなかったため、4月に食料支援を受け、その後支援する側に移った最初のメンバーです
こうした経験をした学生メンバーは、自然に支援する側へ役割を“転換”していきました。5月中旬、パルキッズのメンバーを中心に「コロナ学生支援プロジェクト」を立ち上げ、活動を本格化。久留米大学だけでなく、久留米工業大学にも協力を仰ぎ、学生にチラシを配るなど、支援の輪を広げました。
連絡手段はLINE。食料が欲しい学生からプロジェクト専用グループにメッセージがあったら、受け渡し場所を調整して、自転車や車で運びます。寄せられる食料は、お米や卵、レトルト食品を中心にさまざま。所持金が1000円という学生からも依頼が来るなど、5月は本当に深刻な状況だったそうです。
安全面や感染対策も意識し、待ち合わせ場所はなるべく屋外。友達と顔を合わせる大切な機会にも
この動きは、日常の関係性が生んだ“循環”だと張さんは考えています。「以前からパルキッズで、子どもの居場所づくりやお泊り体験など、年に100日以上は地域の皆さんと一緒にいろんな活動をしてきました。学生のことを“地域の力”と認識してもらっていたから、この緊急事態に地域から声を上げていただけたと思っています」。
地域の皆さんの手厚い支援がそれを裏付けます。「同じ食材が重複しすぎた時は、地域で販売してお金に換え、学生が必要な物を買えるようにしてくれました。信じられないほどの支援をいただいています」。
地域の人から提供される食料を受け取る学生メンバーの岩下さん(左)
久留米工業大学での配布会前の仕分けには、メンバー以外に同大学職員や地域住民なども参加。運搬車を出してくれる人もいて、活動の広がりが見えました
困難な状況こそ"転換と循環"が、前向きな動きを生み出すポイントなのかもしれません。張さんは「ハッピーなスパイラルでみんなが良い方向に行けば」と話します。
学生メンバーの岩崎如月さんは、支援活動を続けるうちに、だんだん楽しくなっていく自分に気づいたそう。「家に居てもやることはなかったし、支援を受けた恩があるから、ちょっとやってみようという気持ちで始めたんですが、本当に忙しくて大変でした。でも、いただき物の中に食べたことないような高級食材があったり、行ったことのない地域に配達に行けたり。振り返ってみると案外楽しかったな。一人で家に居るよりずっと良かったと思います」と振り返ります。
7月豪雨の後、張さんの携帯が鳴りました。専用LINEグループに一人の学生からメッセージが。“僕たちにたくさんの食材をくれた農家さんが豪雨で被災している。何かできないかな”。
新しい“転換と循環”が始まります。
学生支援専用のLINEトークには、災害支援の申し出だけではなく、コロナ終息後のボランティア活動への参加を希望する学生からのメッセージもありました
(第7話終わり)
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WEBコラム「みんなで生きる、みんなが活きる」