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人権特集【43】悪意なき言葉も相手を傷つける

更新日:202411281152


悪意なき言葉も相手を傷つける

12月4日から10日までは人権尊重週間

常にあふれている無意識の偏見や差別について、被差別部落に関わる人や文化などの情報を発信するサイト「BURAKU HERITAGE」を運営するメンバーの上川多実さんに聞きました

「ない」ことにされるつらさ

 私は関西の被差別部落出身の両親の元、東京の部落ではない地域で育ちました。子どもの頃から友人との会話では「部落って何?」「東京には部落差別はないんじゃない?」という反応でした。差別は「ない」ことにされ、モヤモヤした感覚に。家族とは部落差別の話をするのに、周りの人は無関心だったり知らなかったり。親しい間柄でも悩みを共有できないことがとてもつらかったです。
 中学時代、親から結婚差別で親戚と音信不通だと打ち明けられたり、近所で就職差別事件が起きたりしました。身近な事例に「もしかしたら、私は結婚も就職もできないんじゃないか」と不安に。「部落差別なんてない」とされてしまう環境だったので、誰にも相談できずにいました。

当たり前になっている特権

 マジョリティー特権という概念があります。本人の努力の結果ではなく、たまたま持っている属性が、社会の中で優位な立場であること(マジョリティー性)によって自動的に受けられる恩恵のことです。人は誰もがこの「マジョリティー」性と、優位ではない立場の「マイノリティー」性を持っています。
 私は部落出身者であるという面ではマイノリティーですが、健常者という面ではマジョリティーで特権を持っている側です。ある時、映画鑑賞が好きな、耳が聞こえない人に「あの邦画は見ましたか?」と聞いたところ、「邦画は字幕が付かないから、私は映画館には見に行けないんだよ」と返され、はっとした経験があります。マジョリティー中心に作られている社会の中で、健常者の私には障害がある人たちが得られていない恩恵が見えず、無神経なことを言ってしまったのです。
 駅で案内表示を見たり、駅員の手伝いなく乗車できたり、スムーズに乗り換えられることもマジョリティー特権です。「病院で名前を呼ばれてもドキドキしない」、「店でジロジロ見られない」など「当たり前」の中に特権はあります。

悪意なき言葉も心に蓄積

 何げない会話や行動、日常生活の中に現れる偏見や差別に基づく見下しや侮辱のことを「マイクロアグレッション」といいます。外国にルーツがある人への「日本語上手ですね」、「女性なのに出世してすごいですね」のような、一見、他者への良い評価をしているような言葉や、「差別なんてないでしょ」といった無理解による言葉などがあります。悪意なく放った言葉であっても、言われた側にとってはモヤモヤが積み重なり、切り傷が全身にあるようなつらさに。根底に偏見や差別が潜む中で、マイクロアグレッションは無自覚に行われ、あからさまではないからこそ、問題化しづらいのです。

差別のない社会へ

 差別は個人の問題ではなく「社会構造」の問題です。差別はする・しないではなく、社会環境の中に「ある」もの。差別されている側(マイノリティー)が社会を変えるには大きな負担があります。一方で、特権を持ったマジョリティー側が意識を変え、行動すれば容易に社会を動かすことができます。
 社会には、表に出ていない差別や偏見がまだ多くあります。それはマジョリティー側にいると気付きにくいもの。「当たり前」や「一般常識」に偏見や思い込みがないかを疑い、自分の発言や行動を見直したり、社会に働きかけたりすることで、差別のない社会へと進むのではないでしょうか。

話をする上川さんの写真

差別は日常に埋め込まれていると話す上川さん

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