トップ > 計画・政策 > 人権・同和問題・男女平等 > 人権啓発 > 共に生きる(広報紙) > シリーズ【39】あと一歩近づくと会話が広がる
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更新日:2024年07月30日 16時32分
耳が聞こえにくい人同士の交流会や、難聴への理解を広める活動をしている福岡県難聴者・中途失聴者協会の本山和彦さんに聞きました。
私は生まれつきの難聴ですが、小学校の教室で一番前に座れば授業は聞き取れていました。高学年になり自意識が芽生えると、次第に聞こえないことを人に知られたくない、難聴者は自分だけと悩み苦しむように。それでも音楽が好きだった私は、中学で始めた吹奏楽を高校でも続けていました。練習では、楽器の音は分かるけれど、指導者の細かな指示が分からないことが多くて。「G(ゲー)の音を出して」と言われても、D(デー)なのかG(ゲー)なのか分からないのです。自分だけが違う音を出し、気まずい雰囲気に耐えかねて、高校2年生のときに退部しました。
障害を受け入れられたのは、40代になってからなんです。難聴者協会に参加し始めたことがきっかけでした。同じ悩みを持つ仲間に出会い、独りじゃないと知って安心すると、少しずつ前向きな気持ちに。より難聴者が生活しやすくなるよう、社会を変えたいという意識が生まれてきました。
難聴は、見た目では分からない障害なので、障害者だと認識されないことが多いんです。呼びかけに気づかなかったことで、無視されたと勘違いされたり、何度も聞き直すうちに自分の心が折れ、聞くのを諦めたりしたことも。意思疎通ができないことで、関係性が変わる怖さを感じることが今でも多くあります。難聴者が身近にいること、静かな場所では聞こえても、人混みや背後からの声かけは聞こえにくいなど、状況によって聞こえ方が違うことを知ってもらいたいですね。
最初は配慮してくれていても、次第に障害があることを忘れられてしまうこともあります。私たち当事者にできるのは、耳が不自由だと示すこと。話しかける人は正面から話しかけたり、ジェスチャーで示したりするなど、お互いにあと一歩アクションをして、会話を広げたいですね。
「普段からかばんに耳マークをつけて、難聴だとわかるようにしています」と本山さん