トップ > 計画・政策 > 市の紹介 > 歴史 > 久留米市の誕生
0100
更新日:2022年01月19日 16時52分
久留米の歴史は古く、約2万年前の旧石器時代から人々がこの地に暮らし始め、温暖な気候と豊かな水と土を活かして全国的にも早い時期より稲作が始まっていたことが推測されます。さらに古代国家の地方政庁である筑後国府が設置されることによって、北部九州の行政・交通の要衝となりました。
平安時代末の長寛2年(1164年)に草野永経が肥前国高木(現佐賀市)より市東部へ入国し、以来約400年治めました。戦国時代は大分の大友宗麟が覇を唱えましたが、江戸時代に入ると元和7年(1621年)有馬氏が丹波国福知山から入国し明治2年まで11代の城主がこの地を治めていました。
明治4年(1871年)の廃藩置県で久留米県が成立し、同年11月に三潴県となり県庁が久留米に置かれました。明治22年(1889年)に全国の38市とともに市制を施行し久留米市となりました。
明治22年4月1日、市制施行により久留米市が誕生しました。当時の人口は、24,750人。戸数は4,262戸でした。 その年の7月に筑後川が氾濫し、筑後川流域八郡は泥土と化し、流失家屋が1,262戸に及んだと記録にあります。この年と、大正10年、同じく昭和28年にも筑後川は氾濫しており、本市の歴史は、筑後川との戦いの歴史であったということができます。産業と交通が発達してくると、紡績やたび会社が設立されましたが、日露戦争後は、第18師団司令部や歩兵第56連隊が設置され、軍都としての性格を濃厚にしていきました。
旧久留米市庁
(旧藩時代御使者屋)
第18師団司令部
明治22年の大洪水
当時の市議会議長三谷有信(狩野派絵師)が
水害陳情委員として上京の際に説明用に描いたもの。
青木繁(1882年〜1911年)
海の幸 A Good Catch
油彩 70.2センチメートル×182.0センチメートル
1904年 重要文化財
石橋財団石橋美術館
ISHIBASHI MUSEUM OF ART,
ISHIBASHI FOUNDATION