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更新日:2022年01月19日 17時10分
高度成長期を迎えると、久留米市の経済は、ゴム産業の飛躍的な発展を核として、あらゆる産業が活況を呈していきました。また、市域も、宮ノ陣、山本、草野、筑邦、善導寺との合併で拡大しました。
さらに、昭和40年代前半には、都市基盤の整備が進み、ニュータウンの建設などが推進され、昭和54年にはモデル定住圏の指定を受けました。
市議会風景
36の議席に対し、95人が立候補しかなりの乱戦模様を描いた。(昭和26年)
久留米市一帯を襲った大水害
昭和28年6月26日、筑後川が欠壊し、未曾有の大水害となった。
生産増強にはげむゴム工場
市内のゴム工場は、昭和33年〜昭和34年頃、好況の波に乗った。
明治通りに水銀灯
昭和45年10月14日、第1期工事分の108基に点灯された。
第1回パラリンピック
昭和49年10月13日、県営久留米陸上競技場で開催。17種目の競技に熱戦が繰り広げられた。