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絣のまちからゴムのまちへ

更新日:202201191709


第1次世界大戦後の恐慌による慢性的不況下で、久留米における企業の浮き沈みも激しいものでした。そのような中、久留米工業界においては、綿糸関係工業が中核を成し、女性雇用が増大したことがこの時期の特色です。戦後においては、不況の打開策として地下足袋やゴム靴生産が海外輸出するなど躍進し、さらにブリヂストンタイヤKKが創立され、久留米は絣のまちからゴムのまちへと大きく変貌していきました。

写真 私鉄九州鉄道久留米駅 私鉄九州鉄道久留米駅
大正13年4月12日
福岡から久留米に開通した私鉄九州鉄道の駅です。

写真 ブリヂストンタイヤ株式会社 ブリヂストンタイヤ株式会社
昭和6年の創業で同9年には年産タイヤ50万本の新工場が完成した。

写真 戦災当時の市街 戦災当時の市街
(写真提供、坂田正三氏)昭和20年8月11日、午前10時20分から約20分、
米軍機50機による空襲をうけ都心部はことごとく焼失。
被災状況は面積474,930坪、戸数4,506戸、被災者20,023人、死亡212人、負傷160人。

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