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大正・昭和初期の発展

更新日:202201191712


大正3年に鳥飼村の埋立地(白山町)で開催された勧業共進会は、30万人を越す入場を記録しています。同年、市営ガスの供給が開始され、昭和4年には新市庁舎が完成。翌5年には、上水道が完成し、都市整備が進んでいきました。
一方で、全国的に米騒動が広がり、社会問題が深刻化していきました。このような状況下において、本市では公設市場、職業紹介所、公設代書、方面委員の設置など、様々な社会政策が市政に組み入れられていきました。

写真 つちやたび つちやたび
行商用の箱車(明治末年頃)
明治39年のつちやたびの生産高は579,000足に達し、
九州市場の50パーセントを占めた。

写真 久留米絣工場(明治40年代) 久留米絣工場(明治40年代)
日露戦争の戦勝に支えられて経済界は活況を呈し、
絣業も一大飛躍を遂げた。

写真 水天宮700年祭記念勧業共進会(正門) 水天宮700年祭記念勧業共進会(正門)
大正3年4月26日から36日間開催。30万人を越す入場があった。

写真 旧久留米市庁舎 旧久留米市庁舎
総工費35万円で昭和4年3月竣工。

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