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令和4年度に発行された文化財調査報告書販売のご案内
更新日:2024年01月17日
14時38分
令和4年度に久留米市教育委員会が発行しました「久留米市文化財調査報告書」を販売していますので、ご案内いたします。いずれの報告書も販売部数に限りがあります。購入ご希望の方はお早めにご注文いただきますよう、お願いいたします。
令和4年度刊行図書販売一覧
- 中環状道路整備事業「都市計画道路3・4・18号合川町津福本町線」に伴う埋蔵文化財発掘調査(5)筑後国府跡(ちくごこくふあと)第298次発掘調査報告』(久留米市文化財調査報告書第437集)
都市計画道路3・4・18号合川町津福本町線建設に伴い実施した筑後国府跡発掘調査報告書第5集です。令和2年度に中位段丘北端部の西上ノ原地区を調査した第298次調査の成果を収録しています。調査の結果、西海道の一部と想定される南北道路の東側側溝の可能性がある古代から中世までの溝を検出し、さらにその道路に先行する北西から南東に向かう方向に走行する道路遺構も検出されました。先行道路は波板状遺構で構成され、最大幅約2.0メートルを測ります。
- 安武遺跡群2安武三反野(やすたけさんたんの)遺跡第5・6次調査(久留米市文化財調査報告書第439集)
主要地方道久留米柳川線改良事業に伴う発掘調査です。平成3年度に第3次調査として甕棺1基を調査していましたが、第5次調査は第3次調査地点を面的に調査しました。さらに北側隣接地で第6次調査を実施し、弥生時代中期中葉から後期前葉までの墓地として甕棺墓46基、石棺墓1基、石蓋土坑墓4基、木棺墓1基を発見し、丹塗土器が多数出土する祭祀土坑等を検出しました。検出された墳墓群は列状に配置されている様子が観察されました。
- 山王古墳群(さんのうこふんぐん)第1・2次発掘調査報告(久留米市文化財調査報告書第440集)
耳納山地北麓に多数存在する古墳群の一つであり、7基の古墳の存在が判明している山王古墳群1号墳から3号墳までの調査成果を収録しています。1号墳および2号墳は墳丘および石室の平面形、主軸方位が酷似しており、ともに6世紀後半頃に築造された方墳です。前庭部北西部には長方形の突出部があり、多量の遺物が出土しました。石室は複室構造の横穴式石室です。2号墳は複室構造の横穴式石室が良好に残っていましたが、1号墳は著しく破壊され、石室は下部のみ残っていました。また古墳の外周下部には積石が巡らされていました。3号墳は一辺1.7から1.9メートル程度の方墳で、3段程の石積が残る小石室を検出、西側開口の横穴式石室とみられます。
- 夫婦木間歩(めおとぎまぶ)第1次発掘調査(久留米市文化財調査報告書第441集)
夫婦木川砂防ダム建設に伴う現地踏査によって発見された間歩(坑道)を調査しました。坑道奥は落盤や湧水のため、坑口から約12メートル付近までを調査対象としました。坑道掘削に至る記録や伝承はなく、詳細は不明ですが、坑道は鉄分を多く含む鉱脈を追うように掘削され、近代の試掘坑と想定されます。
- 令和4年度久留米市内遺跡群(久留米市文化財調査報告書第442集)
古代の溝3条と畝状遺構を検出した三反田(さんただ)遺跡第2次調査のほか、ヘボノ木(へぼのき)遺跡中央地区において中心となる四面廂建物と主軸方位を揃えた南北棟建物2棟を検出したヘボノ木遺跡第75次調査、長さ8.2メートル以上、幅5.7メートル以上の版築基壇遺構を確認し、筑後国分尼寺(ちくごこくぶんにじ)の遺構を初めて明確にした筑後国分尼寺跡第2次調査、筑後国府跡(ちくごこくふあと)井葉地区で確認調査を実施し、2期推定国司館南区画南限溝を再確認した筑後国府跡第311次調査、4地点の発掘調査成果を報告しています。あわせて、古代の集落跡を調査した高倉(たかくら)遺跡第2次調査および庄屋野(しょうやの)遺跡第10次調査から第14次調査までの概要報告を収録しています。
- 十間屋敷(じっけんやしき)遺跡第11次発掘調査報告・久留米城下町(くるめじょうかまち)遺跡第30次調査報告(久留米市文化財調査報告書第443集)
十間屋敷遺跡第11次調査では、久留米藩家老有馬主膳中屋敷跡を調査しました。18世紀前半代から幕末まで機能した溝を検出しました。調査地の西側には畝状遺構が広がり、中屋敷内の空閑地と想定されます。その北側隣接地を調査した久留米城下町第30次調査では、当時のメインストリートである通町に面した町屋跡を調査し、17世紀から19世紀までに及ぶ鍛冶屋の遺構を検出し、鍛冶炉と関連遺物の検討から精錬鍛冶・鍛錬鍛冶・低温鍛錬鍛冶・高温鍛錬鍛冶の4工程が考えられます。また、その操業は17世紀後半から本格的に操業を開始し、18世紀後半にピークを迎えたことが想定されます。なお、近世の鍛冶に石炭が用いられていた可能性も考えられる成果も得られています。
- 早津崎五反田(はやつざきごたんだ)遺跡第1次発掘調査報告(久留米市文化財調査報告書第445集)
昭和63年に発掘調査を実施し周囲を円形の溝状遺構で囲んだ弥生時代後期前葉の竪穴建物などが発見されたベキ遺跡に近接する地区を調査しました。弥生時代中期後半から後期初頭までの甕棺墓9基、土壙墓1基、石蓋土壙墓1基を検出しました。このうちの1基は筑後川流域に点在する大型の甕棺と石棺を組み合わせた折衷様式を取っています。また、この墓地に伴う祭祀遺構も4基検出されました。さらに、三潴町で初となる古代の溝2条を検出、その一つには用途は不明であるが石組の構築物があったと推定されます。
- 筑後国府跡(ちくごこくふあと)第312次発掘調査報告(久留米市文化財調査報告書第446集)
筑後国府跡1期政庁地区の南東部を調査しました。調査地は第143次および第150次調査が実施された地点の一部にあたります。前身官衙期の50メートル以上連続して東西に延びる土坑を完掘し、東端部は底面の凹凸が著しいことが判明しました。また、1期政庁を囲む南北築地の側溝も一部完掘し、その規模を再確認することができました。
- 国指定史跡筑後国府跡(ちくごこくふあと)国司館地区2(久留米市文化財調査報告書第447集)
合川町柿ノ内・ギャクシ・風祭・井葉地区には、筑後国府跡2期政庁期に伴う国司館が存在したと想定されています。そのうち風祭・井葉地区において未整理・未報告であった9地点の調査について再整理を行った成果の本報告、および既報告14地点の成果概要を収録しています。この地区では、7世紀中頃から後半代までに鍛冶や漆工芸の工房が存在し、7世紀末から8世紀前半代までには1期政庁に伴う官衙が、また、8世紀中頃から9世紀までにかけて2期政庁に伴う官衙が営まれました。特に、9世紀後半代には周囲を築地もしくは土塁、溝で囲んだ4つの区画からなり、「守館」と記された墨書土器が出土した国司館が存在し、区画外の風祭地区にも四面廂建物を中心とした官衙的建物群が存在します。この国司館は、元慶4年(883)年6月に発生した筑後国司都御酉殺害事件を契機に廃絶したと考えられ、その後は墓地や畠地となる変遷がみられます。
販売図書価格一覧表
書名 |
価格 |
重さ |
ページ数 |
厚さ |
437集 |
3,100円 |
630グラム |
136ページ |
1.3センチメートル |
439集 |
3,400円 |
740グラム |
168ページ |
1.3センチメートル |
440集 |
2,400円 |
580グラム |
88ページ |
1.1センチメートル |
441集 |
1,100円 |
195グラム |
36ページ |
0.3センチメートル |
442集 |
2,100円 |
335グラム |
54ページ |
0.6センチメートル |
443集 |
2,800円 |
340グラム |
84ページ |
0.6センチメートル |
445集 |
1,600円 |
280グラム |
58ページ |
0.5センチメートル |
446集 |
400円 |
80グラム |
16ページ |
0.2センチメートル |
447集 |
4,700円 |
920グラム |
248ページ |
1.6センチメートル
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販売図書の購入方法
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