トップ > 健康・医療・福祉 > 障害者支援・地域福祉・生活支援 > 久留米の地域福祉マガジン「グッチョ」 > 【グッチョVol.39】届けたいのは くくれない日常/シリーズ・叶え合う支援「企業×地域福祉の可能性」
更新日:2025年03月06日 10時00分
【TOPIC】届けたいのは くくれない日常
【リード】
インスタグラムで特徴的な文字や数字、記号が並んだアート作品に出会いました。「shinichi koga」というアカウントでプロフィールには「絵と文字作家」、「自閉症兄の日常」と書かれています。投稿は古賀新一さんの作品の紹介の他、障害の事や過去の出来事、家族の気持ち、日々の一コマまで「まぜこぜ」。運営する妹の馬塲美弥子さんと母・古賀禮子さんの思いを聞きました。
【本文】
(始めは「障害×アート」 )
「自閉症の兄の作品を紹介していこうと思って始めたんです」。昔から兄の絵や日記の文字が好きだった美弥子さん。少し前、岩手からアート作品を発信している兄弟を知り、障害があっても自立できている姿に衝撃を受けます。「いつか兄の作品も商品化につながれば」という思いで始めたそうです。
そんな中、投稿を考えるきっかけが訪れます。それは知人の言葉でした。「『今日の新ちゃんを楽しみに見ているよ』という一言にハッとして。日常風景の投稿に何かを感じている人がいるんだと気付きました」。
「昔は、障害者への差別や偏見が今より強くて」と切り出すのは禮子さん。「美弥子が小学4年の時、市民会館で開かれた作文発表会に出てね。タイトルは『私の大事なお兄ちゃん』。新ちゃんの自閉症の事もはっきりと発表したの。周りの子たちからいじめられないか心配で」。幸い友達は「お兄ちゃんも一緒に遊ぼう」と言ってくれたそう。美弥子さんは「兄の事を隠さず話す母の姿をずっと見ていました。でも、兄がからかわれることはあったし、世の中にはそうできる人ばかりじゃない。何も悪くないのに『すみません、うちの子を受け入れてください』と言わないといけない現実も見てきました。そんな行き場のない気持ちが昔から根底にあって。だから、私たちが経験して感じたことは共有したいなと思いました」。
当初は「障害者アート」的な打ち出しを意識していた美弥子さん。「知り合いに『障害者という言葉は必要?』と言われ、本当にそうだなと思いました。投稿を見てもらうのに、障害とかアートとか、そんなカテゴリは関係ないなと。例えば老いと障害との違いは先天的か後天的かくらいで、どちらも暮らしの中で起こること。そういった垣根は越えたいんです。だから作品も暮らしも、思いも『まぜこぜ』でいいなって」。
(特徴と思える時はきっと来る)
取材の2日後、新一さんが通う就労支援事業所を訪れました。午前中は仕事、午後はいろんな活動が行われています。この日は音楽。スタッフから「新一さんのクーピー演奏が始まるよ」と言われ、何のことか分からず見ていると、新一さんの手元に届いたのは長細い紙箱。中には使い切って丸くなったクーピーペンシルがたくさん入っています。演奏が始まるとリズムに合わせてジャラジャラとかき混ぜ、曲にアクセントを加えます。
「兄は幼少期から個性的な絵や文字を書いていたけど、それがアート作品になったのは10年前。前に通っていた事業所が可能性を見い出してくれました。私たちが兄の障害を『特徴』と思えるようになった大きなきっかけです」と美弥子さんは振り返ります。
撮影のために机に広げた新一さんの作品を眺めながら、禮子さんがぽつりぽつりと話します。「その頃からようやく穏やかになったけど。昔は言葉のおうむ返しや多動がひどくて、とにかく生活が落ち着かなかった。私ももう気が狂いそうで、閉じ込めたいと思ってしまうことも何度もありました」。母親は生んだ自分を責めながら、「かわいそうな子」と思ってしまいがちだと美弥子さんは感じています。「そういう気持ちで育てると本当にかわいそうな子になる気がします。その子の力を信じるためにも、母親一人に背負わせないようにしないと」。
「新ちゃんとは本当にいろんな苦労を乗り越えてきました」と禮子さん。「1~2歳のころから新聞の経済欄を眺め、国旗なんか一度見たら覚える。我が家に天才が生まれたと思いました。その矢先、3歳で自閉症と判明。続けざまに腎盂炎になって死の間際までいきました。中学ではひどいいじめに遭い、30代で入所した施設では治療で薬漬けに。生死をさまよいました」。いろんな出来事やその時々の感情を家族で乗り越え、ようやく新一さんとアートが出会います。「こんなに楽しい活動につながった。今不安な人に今の兄を見てもらって、未来はつらいことばかりじゃないと感じてほしい。だからこそ私たちが向き合った現実も届けないと。楽ではなかったけど、乗り越えてみると意外と大丈夫なだったり、良いこともあったりして。言語化は難しいけど、そんな雰囲気を、兄と私たちの日常から感じてもらえると嬉しく思います」。
まぜこぜの投稿には「くくらない」という思いと「くくれない」という現実が共存しています。それが日常なのだと言うように。
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事業所から帰宅し、大好きなコーヒーを一気に飲み干した新一さんに質問しました。「絵や文字を書いている時はどんな気持ちですか。楽しいですか、苦しいですか」。新一さんは私から目をそらしながら「楽しい、うれしい。楽しい、うれしい」。(担当・フトシ)