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Vol.23 50歳離れた同級生・【シリーズ】”合う”という関わり(最終回)
更新日:2023年05月10日
09時00分
【あん人おもしろか】いっちょん分からん。の価値
テキスト版
【リード】
木下(きした)修一さん(72)と大倉将太さん(21)は年の差50歳の同級生。令和5年3月1日、県立明善高の定時制課程を卒業しました。1年生の頃は「時々、お互いに声をかけることがある程度」という2人。その後徐々に会話が増え、距離が縮まっていきます―
【私はおじいちゃんみたいなもん】
木下さんは、中学卒業後、家業を継ぐため修行に出ます。その後、父親の事業を継承し、27歳で刃物加工会社を創業。「でも、心に刺さった小さなとげのように、高校進学の気持ちがずっと残っていました」。事業が安定したこともあり、令和元年、68歳でようやく高校に入学しました。
「年寄りだから、学校ではじーっとしとこう」と木下さんは決めていました。しかし、1人の女子生徒が休み時間のたびに話しかけてきて、離れません。「トラブルが起きてからでは遅いと、先生を通じて母親にお願いしました。やんわりと。でも逆にお願いされることになって」。他人とのコミュニケーションが苦手で、ほとんどの同級生と上手く話せないといいます。でも、木下さんには自ら話しかけます。「お母さんはうれしかったんでしょうね。私でよければと話し相手になることにしました」。
「同級生の多くが自分を出すのが恥ずかしいようですね。その感覚はいっちょん分からん。ゲームの話とかも分からんし」と木下さん。「私と接する時は、自分がどう見られているかとか気にしなくて済むのが良かったんじゃないかな。50歳も離れておじいちゃんのようなものだから。あの女子生徒もそんな気持ちだったのかもしれません」と言います。「他にも何人かの生徒が私にぽつぽつと話しかけてきました。そのおかげで私にとっても居場所ができたんだと思います」。
大倉さんも同じように木下さんに心を開いた一人。やはり人とのコミュニケーションに積極的ではなかったと言います。
【暮らしを打ち明ける間柄に】
「学校で仲良い人をつくろうとは思ってなかった」と大倉さんは話します。中学時代に母親を亡くし、父親は病気がち。高校入学の数ヶ月後に父親が入院し、17歳で一人暮らしとなりました。
木下さんとは、2年生の頃から徐々に話すように。「木下さんが食事に誘ってくれて、一緒にラーメンを食べに行ったりしました」。3年生になった頃には父親の病気や生活のことなども打ち明けるようになり、学校で一番話す間柄になっていました。
卒業目前の令和5年1月。大倉さんの父親が他界しました。「父のことも話していたので伝えるべきかなと思って。もしかしたら少し頼れるかなとも思ったし」と大倉さんは木下さんに連絡します。「これからどうなるのか不安だったろうし、一人じゃ心細いだろう」と、以前から状況を聞いていた木下さんは、今後の住まいや生活の段取りをサポートしました。大倉さんは「一段落してからは、木下さんが何かと外に連れ出してくれました。頼れる人がいて心強かった」と振り返ります。
【同級生の間に生まれた安心感】
木下さんが印象に残っている出来事があります。2人が4年生になった令和4年の4月下旬、大倉さんから「僕、今日でハタチになりました」と報告があったそうです。「誰も祝ってくれる人がいないよなと思って、私の行きつけの小料理屋に行きました。大倉さんは初めてのビールを飲んで、一緒に二十歳のお祝いをしました」。
積極的に話すことが無かった大倉さんが「自分から打ち明けてくれたのがうれしかった。それに私を接点に、最初に話した女子生徒とも徐々に打ち解けてきて。改めて入学して良かったと思えました」と木下さんは話します。
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卒業後、大倉さんは木下さんの会社に正社員として採用されました。2人の新しい関係は「社長と社員」。木下さんと一緒に通信大学にも入学したので「同級生」の関係も続いています。
育った環境も世代も常識も能力も違う。「いっちょん分からん」同士が一緒にいて生まれた安心感。理解し合えないからの「グッチョ」もあるようです。
(担当・フトシ)
【第3回:サンタの袋と弱さと強さ ≪課題より可能性≫】
今、自分達が選んだまちで暮らす私たちは、「地域福祉」という人々の暮らしの幸せをみんなでつくり合う楽しさと責任を持ち合っています。目の前の人の「課題」に着手するのはすごくハードルが高い。でも実は、「人々の暮らしの幸せ」って、特別な知識や力がなくても、つくり合えるものなんだって思う。人と人との関係性によって。 (書き手:久留米AU-formal実行委員会代表:中村路子)
【幸せを支えるのは課題解決だけじゃない】
課題解決の専門的な知識も経験もない私たち。でも「こうなったらいいな」という「可能性を叶え合う」ことなら一緒にできるかも!と思うんです。大切なことは、少しずつの対話の繰り返しや日々の挨拶という、人と人との関係性。そう感じたのは、以前関わった一組の親子の願いからだった。誰かの協力で願いが叶えられていくその先には、親子の暮らしの幸せを支えている。そう信じたい。
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ある日、「小学5年生の娘を、補助輪なしの自転車に乗せてあげたい」とお母さんから相談があった。その世帯は母子家庭。私たちは工具を持って家に行き、補助輪を外した。そして一緒に公園に行って練習したら、その日のうちに補助輪なしで乗れるようになりました。みんなで一緒に飛び上がってハイタッチした。涙が出た。
その親子は、コロナ禍での仕事の激減や、親族との疎遠、不登校、体調悪化などで厳しい暮らしだった。私たちにできることは、娘を遊びに連れて行ったり、食材を持って行ったり。そのくらいしか出来ない状況に悔しい思いを持っていた。
彼女はあまり弱みを見せない。自分が背負っている課題を打ち明けるのに勇気が必要だったと思う。彼女が背負っている課題は、今まで生きてきた年数の分、山積みになっていた。目の前に見えている問題を解決するだけではない折り重なった課題。心の問題や人との関係性で出来上がった現状を変えることが出来ない。様々な背景があって、すんなりと完結しない課題ばかりだった。
【頼るのは、弱さを見せる強さ】
ある日、彼女に「サンタの袋」という例え話をした。サンタが持っているプレゼントの袋のように、人は誰でも人生の中で感じてきた痛みや悔やみ、憎しみ、恐怖感、出来てないこと、隠してきたような荷物を袋に入れて背負っているとする。本人にはいつの間にか当たり前の重さになっていて、いざ袋を開けたら「もう150キログラムくらいの塊になっている。もう無理」ってなる。
でも、その150キログラムの塊は小さな出来事が少しずつ増えてできた物。本当は1キログラムの荷物が150個入っているんだと思う。一気にどうにかしようとしても無理だけど、1キログラムずつを見つけ出して、誰かに頼ってみたりするといいんだと思う。頼るってことは、弱さを見せれると言う強さなんだって。
その話をした数日後、「サンタの袋の1キログラムを見つけました」と連絡があった。それが「娘の自転車の補助輪を外してあげたい」という願いだった。「ずっと外してあげたかったけど、やり方分からなかったから」と。
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ハイタッチした公園からの帰り道、そのお母さんからラインのメッセージ。「1キログラムの荷物と思ってたけど、3キログラムぐらい軽くなりました」。
【シリーズ説明:市民が執筆・共同編集の新企画がスタート。“合う”の視点で人との関わりを考える】
困り事を抱えた人に、友人や知人、隣人など、より多くの人の“支え合い”という関わりに大切な視点「知識より意識」「課題より可能性」「解決より関係性」。この三つのワードをシリーズ紹介しました。令和4年度、市は多くの人が関わり合うための手法として「願いを叶え合う支援」を検証する事業を展開。実際の困り事に向き合い、提案・実施者の久留米AU-formal実行委員会からの報告が完成しました。
報告書へのリンク
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