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更新日:2022年03月15日 10時00分
【拡大号から続く物語を紹介】
実家より実家「じじっか」。「血縁なき大家族」が、貧困からの脱出を目指す拠点です。ひとり親を中心に200世帯を超える皆さんが支え合っています。第9話に続く2回目の掲載。今回は、拡大号で紹介した記事から続くエピソードを紹介します。
記事の最後にじじっかの一角にある「ギフトルーム」の写真を載せました。寄付の品をもらえる仕組みです。欲しい物を段ボールから探すのではなく、店のようにラックや棚に陳列された中から選べます。利用する人の気持ちを大切にする「心のデザイン」です。前回記事に「姿見がありません。そのうちきっと、誰かが愛用した鏡がここに据えられるのでしょう」と書きました。すると後日、姿見が届いたのです。そこにあったのは「物を通した心の交流」でした。
【丁寧な梱包、指紋一つ無い鏡面】
提供してくれたのは、宗像市役所で働く小林晃子さん。とある縁でグッチョの読者になってくれた小林さんから、メッセージが届きました。「赤のドアと赤の天井に似合いそうな赤い枠の姿見が実家にあります」。僕はすぐにじじっか副代表の中村路子さんに知らせました。とんとん拍子に日程が決まり、じじっかに姿見が届くことになりました。
令和4年2月19日土曜、11時。小林さんがじじっかに到着。免許を取って以来という高速道路を1人で運転してきてくれました。トランクを開けると、そこには緩衝材に包まれた姿見がありました。
私が「とてもきれいに包んであるなぁ」と感心していると、「父が梱包してくれていたんです。几帳面な性格で・・」と恥ずかしそうな小林さん。緩衝材をはがすと、指紋一つ無い状態に磨かれた鏡面が現れました。フレームの角を守るための保護材は段ボールで手作り。「赤いリボンは私が付けました」と言う小林さんに、中村さんは「2人の気持ちがめちゃくちゃ伝わってくる。本当にありがとう!」と気持ちを伝えました。
【支援という言葉の罠】
「支援」という言葉は案外やっかい。寄付という支援で陥りがちなのは、する側の「もらえるだけ幸せでしょ」という上から目線の意識。「どうせ」という気持ちが受け取る側の心をすり減らし、「する・される」という壁が生まれるのだと思います。じじっかに届く物の中には、シミや黄ばみが強かったり袖がほつれたりした服もあるそうです。小林さんの姿見には「せっかくだから」の意識がにじんでいました。「ぜひ使ってほしい。せっかくなら、気持ちよく受け取ってほしい」という小林さんとお父さんの思いが。
厳寒の中で発生した阪神・淡路大震災では、全国からたくさんの毛布が届きました。中には、やはり使えないほど汚れた物もあったそうです。ところが、新品より喜ばれた中古の毛布がありました。「新品ではありませんが、気持ちよく使えるように、3日間太陽に干した物です。よろしければお使いください」と手紙が添えられていたそうです。
「どうせ」と「せっかくだから」の違い。贈る人と受け取る人のフラットな関係は、温かい心の交流をもたらす。それはきっと関わる人を明るくしてくれる。記事の締めは「みんなの気持ちでより素敵な場所に」。じじっかのギフトルームに素敵な物語がまた一つ加わりました。
(担当・フトシ)